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執筆者の写真渡川いくみ

『白日夢 – Le rêve éveillé』作品ノート

更新日:2021年4月9日


はらだまほ さんから『作品譜I』を渡していただいたのは、丁度三ヶ月前のことです。展覧会や公演の開催が難しい状況の中、さらに日本とフランスという距離のある中で、このように作品を発表する機会をいただけたことに心から感謝しています。仕上がった作品から思い出すのは、2020年の春の記憶です。世界中が新型ウイルスの恐怖に脅かされはじめた頃、私も慣れない外国の地で、家に閉じこもりながら窓から晴れた空を見上げていました。窓の外では、若葉が春の光で黄緑色に鮮やかに輝き、蒲公英が庭一面に咲き、鳥も楽しそうに鳴いているのに、私のからだだけは、まるで冬眠したままのようでした。起きたまま夢を見ていたようなあの日々が、一つの"白日夢"としてこの作品に表れたように思います。


『作品譜1』の特徴

この作品のエンドロールでそれを読むことができますが、はらださんが『作品譜I』に並べたことばには主語がなく、代わりに1から4までの番号が埋め込まれています。この番号の使い方は自由ですが、基本的にはからだの一部を当てはめるように指示されています。この指示は、振り付け段階で、私のからだを"意識するもの"として対象化するために機能し、さらにその後の映像を編集する段階でも、今回のはらださんの企画の趣旨である、ことばの意味をなぞるのではなくその"質感"を表現し直すという軸を維持するために役立ったように思います。


振り付けについて

『作品譜I』に置かれたいくつかのことば:「霧」「砂」「ねっとり」「重い」「カケラ」「溶け出す」からまず連想したのが、陶芸用の粘土でした。実際に粘土を触っていると、自分の重心の変化が手に伝わって粘土が形を変えるのと同時に、粘土の状態によってからだの姿勢もまた変化させられているという相互作用が働いていることに気づきました。陶芸用粘土はその水分量によって様々な質感となるため、それに応じてからだの姿勢を工夫しなければなりませんでした。水分が多いと粘土の表面がぬるっとするので、手から粘土が滑り落ちそうになったり、反対に水分量が少ないと、皮膚の水分が粘土に吸い込まれ、手のひら全体が粘土に包み込まれ硬直したような感覚になったりなどしました。こうした粘土とのやりとりを、今度はからだと重力との関係に置き換えることを繰り返し、徐々にジェスチャーを選んでいきました。


映像について

ところが、ジェスチャーを選んで稽古をしたところで、画面で見ると全く表現の域に届いていない。それが映像の難しさでした。たとえ現実空間においてからだの内側と外側のエネルギーの交換が見えていたとしても、それをあるがままに映しただけでは、映像の中のからだは、質的に、どうしても生身のからだに劣るように感じられました。"撮影されるからだ"と、それを"編集するからだ"、そして最後にそれを"みるからだ"が、物理的に隔てられた時空間にあることが問題だったのです。そこから、私は“映像の中で呼吸し直す”ということを学びました。さらに、私は普段扱っている油絵具と同じ仕事をコンピューター上でしてみようと思いました。撮影した映像をいくつも絵具のように重ねてみると、思いもしなかった像が浮かんでは沈んでいくのが非常に面白く、"撮影されるからだ"にはなかったはずの質感が"映像の中のからだ"に見えてくることが、とても不思議な体験でした。


2020年12月

渡川いくみ


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