〇〇とはなにか、という問いは、
ここ数ヶ月誰もが体験したことの様に思う。
〇〇にはさまざまな言葉が入るだろうが、私は
おどりとはなにか
を考え続けている。ここまでおどりについて考えたのは初めてかもしれない。
これまで、当然のように、自分の身体と相手の身体が共存する空間で上演していた。
そうすると、必ず目の前に身体はあるわけで、素直な身体があればそこに必ずおどりはある。
おどりに疑問を持たなくて良い空間、なんて幸せな空間だったのだろう。
その大前提が覆された時。
動いているものを見ることが、おどりを鑑賞したことになるのか?
動いているものを見るだけで、観客の身体へとアクセスできるのか?
動くことだけがおどりなのか?
では、見ることができない人はおどりを見れないのか?
動けない人は踊れない??
"わたし"が誰かと"共有する"ことができるおどり
錯覚ではない、"誰かと繋がれる"おどり
とめどないことをぐるぐると考え続けている。
その1つの答えとして、ある実験を進めています。
名前は、、、まだない。のですが。
観客の身体感覚に頼った、よりシンプルなおどり。
自分の中では、未知の領域すぎて、完全手探りです。
さまざまな人に体験して欲しい!
そしてフィードバックが欲しい!と思っています。
キャッチコピーは、
わたしは、これも、おどりと名付ける。
でしょうか。笑
興味を持ってくれた方はぜひご連絡ください。
等々、SNSへ。
私は、喋ることによって思考を進めるタイプなので、ここ数ヶ月間本当にたくさんの人に話を聞いてもらったし、協力してもらった。
ありがとうございます。
引き続き、お世話になります。
そして、話、聞いても良いよ!と言う人も、募集してます!笑
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