top of page

​生く

 

「立教大学現代心理学部映像身体学科松田正隆クラス2016卒業制作 4つの通過点」の中の1作品として上演。自身初の長編作品。

まわる めぐる まわる めぐる

​あなたは、そこにある身体の声が聞こえますか。

日時:2016年11月24日(木) 18:30〜

      11月25日(金) 18:30〜

      11月26日(土) 13:00〜/17:30〜

会場:立教大学新座キャンパスロフト1

演出・振付:はらだまほ

作・出演:有泉汐織 田中萌 田野口桃子 寺澤英知

     平山瑠璃 和田夏恋

音響:吉本花

照明:神賀倫瑠 中島圭都

制作:小松曜 小宮山由利

宣伝:藤木紫苑

宣伝美術:藤原里歩

協力:臼杵遥志 志田知嘉子 寺内七瀬 機材管理室

【「生く」松田正隆氏よりコメント(当日パンフレットより抜粋)】     

  ​

 

「まどろみの深さ」

 

ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』の冒頭は、奇妙な詩から始まる。

 

子供は子供だった頃 自分が子供とは知らず すべてに魂があり 魂はひとつと思った

 

鼓動の中で、夢を見ている。前後不覚の闇の中から、不思議な世界が現れる。そこに身を任せながら、覚醒しつつ、まどろんでいる。確かに、いつか、こんな場所にいたことがあるような気がする。白い人々が現れては消えて、思い出を残す。その思い出は、初めての思い出のような気もする。

​ 『生く』を観たときの印象はなかなか言葉にするのは難しい。人の身体とこのような出会いかたをするのは奇妙に思えるからだろうか。私たちの現実はすでにもう社会化されていて、誰かと出会うとき、その誰かの人物像の個性(プロフィール)を認識していると言えるだろう。

その人物の佇まいや雰囲気を世界で唯一固有のものとして受けとめる。だが、この作品のパフォーマーとの出会いかたは、なにかそのような約束事が機能しない感じがするのだ。その人の個性になる前を見ているような、生まれる前の記憶を体験するような、そんな感じなのだ。

 身体にも空間にも、「深さ」がある。その深さを言葉で説明することはできない。しかし、気配として、確かにそこにまどろんでいる。私たちが、ある風景に、ある音楽に魅かれるのは、そこに言葉にできない、見えない「なにか」があるからだ。その「なにか」が「深さ」なのだろう。それは、数値で測ることのできない強度でもある。​この上演は、おそらく、そのことと、なんとか関わろうとしている。

天使が見える子供の眼差しのように、その視線は、私たちにはどこを見ているのかわからない。

子供はまどろみの中で世界の深さを垣間見る。

むしろ、言葉の中で生きる私たちのほうが盲目なのだ。

​松田正隆

bottom of page